2019年08月16日

炎暑が続く

炎暑が続くよ、いつまで。
最高気温が30℃を切らない暑い日が続く。
お盆休みで街中はどこも人々でいっぱいである。ペタンク競技は当然のように休みである。この休みに乗じて日本のペタンクの歴史を少し探ってみようと思った。

 はじめてペタンクに触れた本としていわれているのは北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」(角川文庫140p)でモンマルトルで「ーーー閑そうな連中が鉄の玉を投げて遊んでいた。」と書いている。これが1959年(昭和34年)春先のことである。
 また伊丹十三著「ヨーロッパ退屈日記」(角川文庫249p)では「ーーー見る人に少々哀れを催させるほどに単純なゲームである。」と書き、「単純なだけに却って複雑な掛引き、高度の技術を要し、その「球趣は尽きるところがない」と書いている。これがフランスのゴルド(1965年(昭和40年))での話である。
この時伊丹十三氏は4人用の球をフランスから持ち帰って「全日本ペタンク愛好家連盟会長」を自称しているのである。(文中記述)
 この後、1969年、フランスから来日したポール・モーリア・オーケストラの指揮者ポール・モーリアはペタンク球を持ち込み、公演の合間に音楽仲間とペタンクを楽しんでいる。
炎暑が続く


当時の駐日フランス大使館と関わりの深かった「日仏文化協会」で働いていた通訳の村瀬良臣氏は、以後日本でのペタンク普及のため伊丹十三氏の意思を受け継ぎ東京都港区桧町公園で「第一回日本ペタンク大会」を主宰開催したという記録が残されている。ルールなどはこの時に翻訳され、適用されてきた。これを契機にペタンク競技の普及は組織としてその名称を「日本ペタンク連盟」として活動を始めていくのである。組織としての活動、運営はこの後複雑な変遷を重ね、今日に至っている。さて、この複雑な経緯は客観的な資料や記録が正確に残されていないので、記述することが極めて困難である。この経緯はどうあれ、
今はどうペタンク競技を普及拡張するかが課題である。この10年間、会員数約5000名の数字が殆ど変わらないからである。




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